双语|花滑记者眼中的羽生结弦第1回(下篇)他带来的思考
木村:リンクに立つときは一人なんだけど、それまでのチームやコーチとのつながりは大きいですよね。
木村:虽然站上冰面的是选手一人,但在那之前选手与团队、教练的羁绊是很强大的吧。
後藤:うんうん、あと、これはびっくりしたのは、何回か記事でも書いていますが、羽生さんって負けたときや失敗したときでもすごいよく喋ってくれるんですよね。そんな話を今回も本人にしたときに、「そうですよね」「昔から自分の言葉にすることで頭が整理されて、課題も整理されるからやっているんです」と。これって、2013年のスケートカナダの時から同じことを言っているんです。
后藤:是的,还有一件事好多篇报道都说过,令人惊讶的是他在输了的时候和失败的时候,话特别多。这次我把这事也和他本人说了,他也表示“确实是这样”、“从以前开始就把自己要说的话在脑海里理清、问题也弄清楚后再说”。这些,从2013年加拿大站那时开始就说过同样的话。
そのあとに続けて、「人が聞いていなかったとしても、めちゃくちゃ喋る」と言ったんですよ。自分のなかにある、良い感覚や悪かった課題を忘れないために、誰もいなくても喋る、と。「そんなことまでするんだ」「誰もいなくても喋るんかい!」と思いました(笑)。羽生さんは喋るのも得意だし、それを聞いていると楽しい取材しがいのある選手ですが、そこまでやっているというのは今回初めて知った。これは意外でした。
在那之后也是这样,“即使别人没有问,也会说很多话。”在自己的内心中,为了不忘记好的经验和失败的教训,即使没有一个人在也要说。想着“要做到这种地步吗”、“没有人还要说个不停吗”(笑)。羽生真的很能说,想着他是个有采访价值的选手,结果被惊到他竟然这么能说,今天我也是初次知道,真的很意外。
木村:今のことにつながると思いますが、後藤さんが羽生さんから学んだ言葉はありますか?
木村:结合现在的内容,后藤先生从羽生那里有学到什么词语吗?
後藤:目標値というか、報酬体験の話をしていたときに、「どうしてこんなに頑張れるんですか?」ということを繰り返し聞いたんです。羽生さんの場合は、ずっと紐解いていくと、子どもの頃や、赤ちゃんの頃から「すごいね」「やったね」と言われたことがよかった、と。みんながよろこんでくれることが、僕の頑張る力になったと言っていました。
后藤:说到期望值、得到回报的体验之类的话题,每次羽生被问“为什么这么拼呢?”,他总是直接回答,在他还是孩子或幼儿的时候,就很喜欢听别人说“真厉害啊”“做到了呢”。他说大家的鼓励就是自己拼搏的动力。
そのことを「報酬体験」という言い方をしていて、「それが報われる瞬間をどうやって自分で作るかというのが大切ですよね」って。僕は朝日新聞で、「子どもとスポーツ」という特集をしているんです。子どもたちにとって良いスポーツ環境とは何かというのをチームで自問しながら取材しているのですが、子どもたちがそういう体験をできるような環境を目指したいなと、羽生さんの話を聞いて改めて思いました。
用这种体验回报的方法,他说“最重要的是如何自己创造这个瞬间”。我在朝日新闻做《孩子和运动》这种特辑,一边自问着“对孩子友好的体育环境是什么样子的”,一边进行采访准备。听取了羽生的话之后,我重新开始想为了孩子们能获得这种体验而努力。
成長が早い子、遅い子がいると思いますが、ゆっくりな子なりに目標を設定してあげて、それができたらみんなで一緒によろこぶ。それが、その人としての原動力になっていくのかな、と。
我觉得有的孩子成长得快,有的孩子成长得慢,慢慢按照孩子自身情况给他们设定目标,能实现的话,大家都会感到开心。这也能成为那个人努力的原动力吧。
木村:記事にもありましたが、原点は結局そこだという話をされていましたね。そうした体験は大事ですよね。
後藤:うちの子もまだ小さいので、そういう風に育てようと思いました。
木村:私も子育てをしているんですけど、取材の雑談で、そんなことも少し話しましたよね。「褒めてあげてください」ってみんなで盛り上がって。すごく力をもらいました。
木村:也有这样的报道,写着“原点即结果”,这样的经历非常重要呢。
后藤:我的孩子还小,我想按照这种方式教导他。
木村:我也有孩子,聊天的时候多少也说过这样的内容。“请给予他们赞美”,大家听到这样的话,情绪很高涨,得到了很大的力量。
木村:そういえば、後藤さんは何年くらい記者をされているんですか。20年くらい?
後藤:新聞記者になったのは2002年からなので、記者歴は20年です。羽生さんを初めて取材したのは、2012年にニースの世界選手権で銅メダルを取ったときですね。たまたま僕がスピードスケートの取材でヨーロッパにいたんですが、そのときのフィギュア担当が来れなくなっちゃったんです。それで、急きょ僕が行くことになって。
木村:话说后藤先生从事记者职业有多少年了,20年有吗?
后藤:成为新闻记者是从2002年开始的,有20年经验了。初次采访羽生是他在2012年的尼斯世锦赛取得铜牌的时候。我当时为了速滑恰巧在欧洲进行采访,当时要采访花滑的记者来不来,所以急忙之下我就去了。
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